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『世界樹の迷宮』シリーズ雑記。HPのごたごたも
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せかご自ギルドが結成されるまで

【次の】


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 黒雲から叩きつける雨を割って、その馬車は疾駆する。
 ぬかるんだ草丘と林を風のように突き抜けて、馬に入れる鞭の音が鋭さを増す。
「速く!」
 叫んだ声は、少年のものだ。
「これ以上は無理だ!」
 声に応じる御者の声は震えている。激しい揺れ。手綱だけが唯一の頼りのように縋る御者をよそに、天幕の隙間から、後方の様子を窺う、少年。
―――年の頃は、若いというよりも幼いというほどにも見える。土の民(アースラン)の腰ほどしかない身の丈と、尖った短い耳は、草原の民(ブラニー)の典型的なそれだ。ちんまりと丸く小さな身体が馬車から投げ出されないように用心しながら、彼―――セランは追手を視界にとらえることに成功した。
 一体。
 野犬にしては大きすぎる黒い影が、吠え立てながら追いかけてきている。どころか、今にも馬車の車輪を食いちぎりそうに肉薄していることに驚く。
「もっと速く!」
「無理だっつの!」
 黒い影―――魔物は、赤い目を爛々と輝かせ、黄ばんだ牙を剥きだしにした。少年はぎょっと天幕に頭を引っ込める。
「ポイントまではもう少し先だ。使うっきゃない」
 独り言を早口に言いながら、こういうときのために用意してあった荷物を探る。揺れに耐えながら取り出したのは、竹を半分に割ったような筒だ。
 ブラニーのくせに、金髪紫瞳という派手な相貌は、父親がさる身分のあるアースランだからだと、本当か嘘か分からないことを育ての親が言っていた。どうでもいいが、自分を捨てたブラニーの母は色だけでなく、どうせならもう少しアースラン寄りの体格に産んでくれなかったものかと思う。
 例えばこんな風に、馬車の外の敵に思い切り、武器を投げつけるときであるとか!
「当たれーっ!」
 渾身の運で的中させたそれは、爆発音と共に紫煙を焚きあげる。
 魔物は高い嘶きに似た悲鳴を上げた。鼻先で炸裂したのだから当然だ。
 見る間に離れていく影を確認し、セランは御者席に怒鳴った。
「速度下げないで! このまま突っ切って!」
 ともすれば舌を噛みそうだ。馬車の前方と後方、交互に忙しなく視線を送っていたセランは、暗闇の中、前方に高く上がる光の柱を見つける。
 合図だ。
「急いで!」
 向かう強風に袖口がはためく。天幕の隙間から顔を出し、後方を振り仰いだセランは、暗澹の草原から再び飛び出した、赤い目を見つけた。
「うわああ!」
 叫びながら、身体を思い切り仰け反らせる。
 尻餅をついたセランの上空を、セランの全身ほどの長さはあろうかという顎が食いちぎっていった―――ばきばきと音を立てて骨組みをへし折り、布を剥ぎ取って、影は瞬時に後方に消える。
「そ、速度! 上げて!!」
「勘弁してくれよもう!!」
 悲鳴のような絶叫が御者席から聞こえる。
 半壊した馬車の後部に、魔物が覆いかぶさった。
―――と同時に、破裂音が魔物を吹き飛ばす。
 セランは息を呑んだ。転がるように、後方の闇へと消えていく魔物。
「行け、モズ!」
 凛と響く声に応じるように、馬車の御者台を蹴って、同じく闇へと身を投げる風がひとつ。
 遠ざかる、魔物の唸りと剣戟。
 ゆるゆると速度を落とした馬車に、泥を蹴散らしながら走り寄ってくる、派手な赤いコートの人影があった。己の身の丈以上の盾を背に軽々と負う、その青年が手にしている銃からは硝煙が上がっている。
「怪我はないか?」
「な、なんとか」
「ひ、ひいっ」
「あとは任せてくれ」
 頭を抱えて蹲る御者の男に声をかけると、青年は馬車を通り過ぎていく。
 援護に向かうつもりだ。呆けていたセランは慌てて、その背に呼びかけた。
「フェイさん!」
 肩越しに振り返った黒髪の青年―――フェイは、事もなく親指を御者席に向けて、
「きみはその人を頼む」
 眉を上げて、セランは答えた。
「目は潰してあるけど、気を付けて」
「ああ」
 盾を構えて駆けていくフェイを見送ると、半壊した馬車の内枠に背を預けて、セランは深々と溜息を吐いた。


 アルカディア。
 南北東西に両手を広げるこの大陸を、人々はそう呼んでいる。
―――中央に抱く世界樹の守護を受け、青々と実る大地のことを。
 この地には、多種多様な人種が存在する。獣の耳が生えていたり、成人の身体がまるで子供のようだったり、透き通るような白い肌に柳のように痩せた長身であったり。そしてまたその中にも、種々の物好きがいる。
 この馬車の主である男も、そのうちの一人であったようだ。
「いやー、助かったよ。護衛をケチったらこんな目に遭うなんて」
 前日とは打って変わっての、晴れ模様である。
 怯えていた様相はどこへやら、からからと笑う御者の男は、この数日あの黒い犬のような魔物につけ回されていたそうだ。こちらが止まれば向こうも止まる。こちらが走れば追いかけてくる……といったように遊ばれて疲労困憊していたところを、セランたちがたまたま、通りかかったというわけだ。
 後ろ半分がなくなり、風通しと日当たりが良くなった馬車は、のんびりと街道を進んでいく。そのうちで、セランは御者に声をかけた。
「よく、供連れもなくここまで来られたね」
 何かと物騒な世の中だ。魔物に遭わなくても、人間の中にも魔が差している者はいる。
 御者は振り返りもせず手を振った。
「いやいや、街道に抜ける手前の街までは、いたのさ。奴め、ここから先は別料金だなんてほざくからよ。置いてきぼりにしてやった」
「そりゃあね……」
 御者は憤然として言うが、セランはその置き去りにされた護衛の心情を計る。
 曲がりくねったこの街道は、ただ好き好きに曲がっているわけではない。天から降る、太い無数の木の根を避けているのだ。その隙間にまた、木々が茂っている。こうして点在する林には、魔物が潜んでいるものも少なくはない。
 大の大人―――ブラニーではなくて、アースランあたりの―――が三人ばかり腕を伸ばせば手を繋げそうな胴回りの根のあるじを、セランは見上げる。
―――世界樹。
 これこそが、アルカディアのどこにいても見つけることができる、守り神そのものである。
「世界樹の根元は、文字通り魔物のねじろなんだって。独りで行くなんて無謀極まるよ」
「へへ、そのおかげであんたたちに出会えたんだがね」
 御者はここで初めて、ちらと馬車の中に目をやった。
 セランの正面に座すフェイと、その隣で馬車から身を乗り出して、道端の草を抜いて遊んでいる、茶色いぼさぼさの髪の少女。
 フェイは、胡散臭いものを見るような目を、脇の少女に向ける。
『モズ。大人しく座ってろ』
『だーってっ、暇なのじゃ~』
『分かった。言葉の勉強してろ』
「ははは、全っ然分かんねえ」
 御者は高らかに笑う。
 セランは渋い顔をした。彼が「分からない」と言ったのは他でもない、フェイとモズの会話の内容そのものだ。何故なら、二人が交わしている言葉は、アルカディアで一般的に使われている言葉ではない。
 セランは育ての親の影響で、この言葉をある程度理解することができる。むしろ二人に出会って、この言葉を流暢に操る人間を、育ての親以外に初めて見たセランは、感動したほどだ。
「ゼファーリアでも聞いたことがないな。もしかして、もっと西方の言語なのか?」
「あー……そんなところ。種族協定から外れた土地の言葉だから、お兄さんが知らないのも当然だよ」
「ふうん。まあ、確かに聞いたことがあるよ。お嬢さんみたいなやつらのこと」
 セランは肩を跳ねさせた。
 モズの頭頂部には、二本の角がある。ちょうど、セリアンの耳が生えているあたりだ。
 御者が自分の頭を指して、モズを指さしたので、何を話していたのか伝わったらしい―――モズがひょこりと、セランを押し退け、御者席に身を乗り出す。
『何じゃ。言っておくがの、わらわのこのツノは母上譲りなのじゃ! いずれヨーカイ女王に相応しい雄々しいツノに―――』
「はっはっは、分からん分からん」
「すまん」
「にゃっ」
 首根っこをむんずと掴まれて、モズが退場していく。掴んだのは勿論フェイだ。苦々しそうに溜息を吐いて、
「行きずりで乗せてもらっているのに。騒がしくて」
「いや、いいさ。賑やかな方が気もまぎれる」
 御者の返事に、フェイは小さく肩を竦めた。
 セランがアルカディアの公用語を教えたため、フェイもモズも少しなら公用語を理解できる。どちらの方が上達が早いかは―――今の会話から分かるだろう。
「―――それに、君たちはアイオリスまで同行してくれるんだろう?」
 御者の問いに、セランは頷く。
「僕たちも、アイオリスを目指していたから。渡りに船で助かります」
「それはこっちの台詞だな!」
「お兄さんは、アイオリスに何をしに行くの?」
 セランが問えば、御者は心外と言わんばかりに目をぱちくりとした。
「アイオリスと言えば、今一番流行りの街だろ! “世界樹の迷宮”! 知らないとは言わせないぜ!」
「当然さ。俺たちはそいつを目当てに行くんだから」
 応じたのはフェイだ。御者は肩越しににやりと笑う。
「なんだ、やっぱりあんたたちは冒険者だったんだな? どうりで魔物と戦い慣れていると思った」
―――世界樹の迷宮。
 大樹の中に眠る、踏破した者は存在しないという伝説の大迷宮。長らく封鎖されてきたそれを、一般に開放するというお触れが出たのは、つい数年前の話だ。
 世界樹を取り囲むような土地を国土とする四種族が、ついに協定を結んだのだ。互いに軍は出さず、民間の手だけでこの迷宮を克服するための取り決めを。そのかいあって、四カ国じゅうの冒険者が、麓の街アイオリスに集っていった。あるいは夢破れ果てても、また次の冒険者がやってくる。そうしてゆっくりと、アイオリスは発展を遂げてきているさなかだ。
「あんたは違うのか?」
 フェイが水を向けると、御者はぶんぶんとかぶりを振る。
「とんでもない! 俺はアイオリスに、買い出しに行くのさ。あそこは迷宮産の、他では拝めないお宝ばかりだって聞くからな」
「それを街の外に持って出て、売るの?」
「そうやって儲けるのさ」
『モーケル?』
『金を稼ぐって意味だ』
 ひそひそと、フェイが御者の言葉の意味をモズに説明している。モズは訝しげに首を傾いだ。
『そんなもので儲かるのかの?』
『さあ……モノ次第じゃねえかな。本当に世界樹にしかないような素材なら、呆れる程の値が付くこともある』
「あんたたち、冒険者なんだったら、今までもいろんなところを回ってきたんだろ? 話を聞かせてくれよ」
「ええと……僕は新米だから」
 セランが視線を送ると、フェイはにっと笑った。
『いいぜ。セラン、通訳してくれよ』
「じゃあ、僕は語り部で」
「いいね」
 そうして、フェイは語り始めた―――彼が、アルカディアに来る前にいた世界で。出会った人々、出来事、そして得たもの―――失ったもののことを。


 セランは知っている。フェイは冒険者だが、アルカディアを訪れた理由は、世界樹の迷宮に挑むためではない。
 それでもアイオリスに来たのは、ひとえにセランのためだ。
 セランはここよりずっと田舎の森で、たった一人きりの生活をしていた。どこから来たのかも分からない、アルカディアの言葉も話せない二人と、二人の言葉が分かるセランが出会ったのは、偶然だったのかも、そうでなかったのかもしれない。とかく、それが半年前のこと。
 その半年のうちに、セランがずっと誰にも明かさずにいた夢のことを、フェイに知られてしまった。
―――その夢をかなえるために、セラン達は今、この街に足を踏み入れる。
「これがアイオリス……」
 赤茶の屋根が密集する街並みを一望し、フェイが呟いた。
―――馬車と別れて、石畳を進むセランたち。
 冒険者と思しき屈強なアースランの男たちの一団とすれ違い、同じく、冒険者かもしれないルナリアの学者のような集団の間を縫って、ぶらぶらと街の奥へと進んでいく。
 街の中にも、複雑に這った木の根がある。そのせいで、アイオリスには細い路地が多い。あまりに迷いなくセランが道を選んでいくせいか、狼狽えながらフェイが声をかけてくる。
「お、おい、セラン」
「どうしたの?」
「いや、どこに向かっているのかなって……」
「あ、ごめん。てっきり、冒険者ギルドに行くつもりで」
 四種族の協定で守られているアイオリスの街では、武力を持つことになる冒険者の存在は街によって統制されている。冒険者の管理を一任されている『ギルド』に行って、冒険者として登録しなければ、肝心の迷宮に立ち入ることすら許されていないのだ。
 それは、街に入るときに衛兵から説明を受けたはずだが。セランが訳したので、フェイも理解できていると思っていた。きょとんとしていると、「そうじゃなくて」とフェイは後頭部を掻く。
「ギルドのある方角は教えてもらったけど……これだけ入り組んだ街で、よく道を間違えないで行けるな」
「あー……」
 そういえば話していなかったか、とセランは視線を彷徨わせる。
「―――実は僕、アイオリスに来るのは初めてじゃないんだ」
「へえ?」
 驚いたように眉を上げるフェイを、おそるおそる見上げてセランは続ける。
「この街の郊外に住んでいたことがあってさ」
「ふうん。……当時と、街並みは変わっていないのか?」
「うん。細部は違っても、建物の並びなんかは同じだし……あの頃世界樹の迷宮の探索は禁止されていたけど、アイオリスの近くにも小さな迷宮はあったから、冒険者ギルドは昔からあるし……」
 ばつが悪くなってきて、「秘密にしているつもりはなかったんだよ」と言い訳じみたことを言うセランの頭を、ポンとフェイが叩いた。
「聞く機会がなかっただけさ、気にするなよ」
「……うん」
 フェイは肩を竦めると、きょろきょろと周りを見渡す。
「むしろ納得したよ。こんな街の近くに住んでいたんじゃ、確かに冒険者に憧れるよな……って」
 だんだん胡乱な目つきになって、彼はぽつりと呟いた。
「―――モズは?」
「えっ?」
 てっきり、いつものようにフェイが見張っているものとばかり思っていた。セランも周囲に目を配るが、そもそもセランの視界には、ほとんど足しか入ってこない。
「……もしかして、迷子?」
「あいつは……ったく」
 オールバックの額を抱えて空を仰ぐと、フェイは苦り切った顔で言った。
「行こう」
「えっ?」
「冒険者登録するんだろ? 早く行かないと日が暮れちまう。宿も決めねえとならないんだし」
「で、でも」
「モズなら気にすんな。あとで勝手に合流してくるよ」
 ひらひらと手を振って、先行しようとするフェイを、セランは慌てて追いかけた。
「フェイさん、そっちじゃない!」


『むう……』
 人の流れに押され押されて、モズは通りの隅に吐き出されていた。振り返るも、再び人ごみの中に突入していくのはうんざりだ。そうしている間に、フェイたちの姿を見失ったことに気づく。
 モズは憤然とした。
『まったく』
 そして、手ごろな街灯にするすると登る。見晴らしがよくなったが、ごちゃごちゃと道にひしめき合う人の頭から、目的のものは見つけられなかった。せめてセランの金髪が目立てばいいのだが、あいつチビだからのう、とモズは溜息を吐く。
「こら! そこの娘!」
 怒鳴る声が耳に届いて、モズは下方を見下ろした。
 ケンカか何かと思ったが、街灯の傍に立つ男が見上げていたのは自分だった。
 大きな緑の帽子をかぶった、派手な服装の彼は、片手を振り上げて何某かを叫んでいる。しかし、モズには意味のある言葉のようには聞き取れない。というか、この大地の人々は、大体何を言っているのか分からないのだが。
 ようよう耳を澄ませたら、セランが教えてくれた言葉に近いような気もする。『降りてこい』とか『危ない』とかいう意味だったような。
 まあいいや、とモズは跳躍した。見つからないのだからここにずっといても仕方ない。音もなく、叫んでいた男の目の前に着地すると、男は目をぱちくりした後、今度は声を控えめに、なんだかんだと言ってきた。
「君は冒険者かね? 街灯に登るだなんて何を考えてるんだか」
『何を言ってるのかさっぱりなのじゃー』
「ん……? 角が二本生えている……? 君はもしかして、協定を結んだ種族の者ではないのかね? 参ったな、門番は何をしていたのか」
『なんじゃなんじゃ』
 男がモズの頭に目をやったので、モズは反射的に角を隠した。この大地には、角が生えている人々もいるからと、隠さなくていいと言われてここまで来たのだが。やはりまずいのだろうか。
 男の表情は険しくなっていった。
「アースラン、ルナリア、セリアン、ブラニー以外の者はこの街に立ち入ることを禁じられているのだ。場所を変えて、事情を聞かせてもらおう」
『触るでないぞっ』
 腕を掴まれそうになって、モズは反射的に振り払う。
「こら、待て!」
 掴まえようとする手をひらりと避けると、モズは人通りのない裏路地に入り込んだ。
「衛兵! 衛兵、こっちだ!」
 男が応援を呼んでいるそぶりをみせるのを、振り返りながら駆ける。べっとそちらに舌を出した瞬間、何かにぶつかった。
『ぎゃん』
「あら?」
 むにっと丸くやわらかい壁が目の前にある―――ふと見上げると、女性のたれ目と目が合った。
 不思議な蒼の瞳が、弓なりにしなる。
「どうしたの? かわいい角ね」
 つんと角を指先で突かれて、モズはぱっと女性―――の胸―――から離れると、「ううう」と頭を覆う。
『や、やっぱり目立つではないか……セランのばか……』
「いたぞー!」
 追いかけられていたことを思い出す。もう目と鼻の先に迫ってきている、鎧を着こんだ兵隊と先ほどの帽子の男の姿に、モズは反射的に女性の後ろに隠れた。細い体型だが長身だ。男たちよりも上背があるかもしれない。
 女性が振り返って、唇に人差し指を立ててくる。
 彼女は正面を向き直ると、追っ手たちと話し始めた。
「どうしたんです?」
「そこの少女を引き渡してもらおう」
「こんな女の子を? 何をしたのかお伺いしても?」
「彼女は協定外の種族だ。不法入国の疑いがある」
「協定外? どこが?」
『ふわっ』
 女性の腰にしがみついていたモズは、ふと彼女が半身をずらしたので、前に押し出される形になった。角のある頭部を、女性の手が柔らかくくしゃりと撫でる―――柔らかく?
「どこからどう見ても、セリアンの女の子でしょう?」
 モズは自分の手で確かめる。―――角がない。いや、ないというより、耳の中に隠されている。頭から生えた、髪の毛と同じ色をした―――まるでうさぎのような耳の中に。
 これは、何じゃ? しかも取れんし。
 モズ自身も動揺している間に、女性は言葉を紡ぐ。
「ね?」
「タウンクライヤー殿、これは……」
「う、うむ……私の見間違いだったのかもしれん……しかし……いや、見間違いだろう。面目ない」
「お勤めお疲れさま」
 訝しげにしながら、彼らは去っていく。
 まるで魔法みたいだ。
 ぽかんと口を開けていたモズと目が合った女性は、にっこりと微笑んだ。
「それで、かわいいお嬢さん。あなたはどこから来たの?」


 昔近くに住んでいたというのは、十八歳のセランにとって、ほんの数年前の話だ。一方で、アイオリスの街そのものには、あまり近づいたことがない。当時、こんなにも人種のるつぼではなかった街は、ブラニーの血を引くセランは、アースラン社会にとって異質なのだと見せつけられているような気がしていたからだ。
 それがたった数年で、こんなにも様変わりしてしまうなんて。
 日が傾き始めた路地裏を行きながら、すれ違う冒険者の多さに、セランは驚いていた。
 かつてから、アースランばかりだったとはいえ冒険者ギルドはあったし、有名な冒険者も住んでいた。それでも、この人口の増え方は、単に四種族の垣根がなくなっただけではないだろう。それほどまでに、アルカディア大陸の人々にとって、世界樹という存在は大きなものなのだ。
 世界樹を巡る伝説は、大陸に住む数多くの種族それぞれに、多種多様なものがある。中でも有名なのが、世界樹を登り詰めた者に与えられる『成果』だ。
 面白いことに、これもまた種族によって内容が異なっている。セランは、協定を結んだ四種族のものしか知らないが―――あるいは権力、世界の謎、最強の武力、金銀財宝……人間の欲望とは、果て知らずなのだろう。
―――かつて、セランはこの街の近くの森の中に、年老いた養母と共に住んでいた。
 赤ん坊の頃捨てられていたセランを、養母は病で亡くなるまで育ててくれた。そして、老いてもなお不便な森の中に住み続けたのは―――何かを待っていたからだ。
 世界樹を見上げ、ずっと待ち続けた養母の望みが、一体何だったのかを知りたい。
 その一念で、セランは再びアイオリスまでやってきた。
 街はけして大きくはないが、年月の数だけ人は増加している。種々の望みをかけて世界樹に挑む人々の―――腰と足にもまれて、ブラニーのセランはぽてんとこけた。
「いてっ」
「ああん?」
 ンな古典的な、と思ったが、筋骨隆々、いかにも冒険者、といった風情のアースランの男性にぶつかってしまった。
 ぼんやり歩いていた自分が悪い。一礼して立ち去ろうとした首根っこを、ひょいと掴まれる。
「待ちな、坊や」
 そのまま宙づりにされる。眼鏡を通して、髭面の男の顔がわざとらしく歪んだ。
「―――いや、ブラニーの兄ちゃんか。これは失敬。どっちでもいい。今あんたがぶつかったおかげで、俺の一張羅が汚れっちまった」
 ウソつけ、元々どろどろだろ―――と言ってやりたいほど汚いズボンを指さされ、セランは苦笑いした。
「それは大変、申し訳なく」
「洗濯しなけりゃなあ! おう、その金はもちろん、兄ちゃんが出してくれるんだろ?」
 あー、失敗したなあ、とセランはぶら下がったまま思っていた。フェイがどうしても放っておけというのを、無視できずに独りでモズを捜しに、宿を出てしまったのだ。せめてフェイに声をかけたら、きっとついてきてくれただろうに。物思いに沈んでいたら、いつの間にか治安の悪い地域に足を運んでいたのも敗因だ。
 ブラニーは金にがめつく、たんまり溜めこんでいるという偏見が、こういう弱い者いじめを生むのだ。数発殴られるのを覚悟して、溜息一つ、セランはぽつりと言った。
「本当に申し訳ないと思っています。ただ、お財布を宿に置いてきてしまいました」
「あん?」
 お約束のようにぶんぶんと全身を上下にシェイクされる。
 一回もコインの音がしなかったせいか、男は途端に白けた顔になった。
「けっ、マジか」
「マジです……」
「仕方ねえな。―――おい!」
「へい」
 男が呼びかけたさらに路地から、手下らしきブラニーが出てくる。
「金髪で紫の目のブラニーだ。珍しいだろ」
「アニキィ、そいつは多分純ブラニーじゃありませんぜ。普通のブラニーより一回りデカい」
 何の話をしてるんだ、とセランが言う前に、手下のブラニーが言葉を続ける。
「―――まあ、売れないことはないすね。物好きもいやすから」
「だろ」
「ゲッ! あんたら人さらいかよ!」
 じたばたと今更にセランは暴れたが、アースランの脇に抱えられてはびくともしない。
 大声を出そうとした瞬間にタイミングよく、布を口に押し込まれてしまった。
「むごごごご、むご!」
 セランがド田舎に住んでいた理由のひとつが、こういう連中に目を付けられないためだ。
 ブラニーにもアースランにもなじめない風貌は、物珍しさだけを価値基準に置く連中のえじきになりやすい。
「良い世の中になりやしたねえ」
「冒険者がひとりふたり消えたところで、誰も気にしないからなあ」
「むごごー!」
 必死に抵抗するセランは、頭上に落ちた影に気づいた。
「おい」
 空から降ってきた影―――黒頭巾付きの黒外套なので、本当に影のようだ―――が眼前に着地する。
 と、人さらいの二人はにわかに苦虫を噛み潰した顔になった。
「てめーら何してやがる」
 ドスの利いた声で言いながら、頭巾の下から出てきたのは青年の顔だった。
 耳の形や背丈からして、アースランだろう。
 助けか。セランは固唾を呑んだ。
「―――誘拐は足が付くからやめろっつったろ。冒険者じゃなかったら……冒険者でも、最近は登録だなんだので身元が管理されてやがる」
「もごもご……」
 半目になったセランをよそに、セランを抱えた髭のアースランは、黒づくめに言い返す。
「てめーに言われたかねえな。いいからどきやがれ」
「あん?」
 黒づくめは醜悪に顔をしかめると、髭面にずいと詰め寄った。
「―――お前、誰に口きいてんだ。例の魔物の件で俺に貸しがあるのを忘れたか?」
「っ、調子に乗りやがって―――」
 そこで、拳を上げそうになった髭面が、ひたと動きを止めた。
 顔を上げていたセランもまた、目撃した。
―――黒づくめの赤い目が、その色を奇妙に揺らがせたところを。
 それを見た途端、髭面がセランを取り落とす。
「分かった、分かったよ! 俺が悪かった!」
「アニキ」
「行くぞ!」
 憤然としながら、髭面は大股で歩いていく。慌てて追いかける手下のブラニー。
 立ち去る二人の横顔には、怯えのようなものが走っていた。
「おい」
 尻餅をついていたセランに、呼びかけてくる黒づくめ。
 彼は再び頭巾を被りながら、
「言うまでもねえが、誰にも喋るんじゃねえぞ」
「言うまでもないけど、当然被害を届け出るよね」
 肩を竦めてみせると、黒づくめは眉根を寄せた。
「テメエ……」
「人さらいが横行してるなんて、酷い街だ」
「実害がなけりゃ無視されるだけだぜ。スラムに入るお前が悪い」
「お兄さんは人さらいじゃないの?」
「よく喋るガキだな」
 また首根っこを掴んで持ち上げられ、セランは慌てた。
「ちょっと!」
「スラムの外まで送ってやるだけだ。大人しくしろ」
 確かに、セランが歩いて来た方向に戻っていくので、セランはこの黒づくめを信用することにした。大人しく運ばれる間、話しかけてみる。
「ねえ、僕友達を探しているんだけど。頭に二本、角の生えたぼさぼさ髪の女の子」
「ツノぉ? 知るかよ」
「じゃあ、冒険者が情報を求めて集まりそうな場所、知らない?」
「冒険者、ね……」
 黒づくめは低い声で唸ると、セランを地面に投げつけた。
 舗装された道路なのでしこたま痛い。バウンドして、明るい通りに転がり出ると、裏路地の闇と一体化した黒づくめは冷ややかに言ってくる。
「これに懲りたなら、とっととこの街を出ていけ」
「いってて……場所に心当たりは?」
 舌打ちひとつ、黒づくめは消える。
 セランは尻を払って立ち上がると、眼前の建物の看板を見た。
 牡山羊をあしらった悪趣味な―――『魔女の黄昏亭』と書かれた看板を。

 

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