ブルームにとってそのギルドの手伝いは、元々アルバイトのつもりで始めた樹海探索だった。
学生の頃少し関わりがあった、冒険者から紹介を受けたのがきっかけ。当時いろんな冒険者ギルドにくっついて採集を手伝っていた経験のおかげで、まだ樹海初心者だった彼らにとってブルームは先輩冒険者だった。しかしブルームは戦闘技術のほうはからきしなので、そのギルドの彼らは良い守り手であり、良い―――金づるとなっていった。どんどん新たな階層を切り開いていく彼らについて行くことは、すなわち“資源”が樹海で初めて発見される瞬間に居合わせることを意味していたからだ。
初めは、副職のついでに何か一つ当たればめっけもの、そんなつもりで始めた手伝いだった。
だがブルームの予想をはるかに上回る速さで、彼らは探索を進めていった。
ついに―――「古代文明みたいなのを見つけたから、来てくれ」と言われたときには、思わず「勘弁してくれ」と呻いたものだ。
久しぶりに足を運んだ施薬院は、相も変わらず慌ただしい。
「ああ、来てくれて助かった」
ブルームを見つけて、院長は安堵したように相好を崩した―――が、すぐに緊張した面持ちに戻る。
「薬が足りない。街中を手配しているが―――それでも足りないだろう。材料を探してきてくれないか」
「探すって、樹海で?」
「以外に何処がある」
早口な院長の弁に、ブルームは冷静であろうとした頭に、焦りが浮かんだのを感じた。それが促すまま言葉を吐く。
「容態は、どうなんです」
「よくないな」
院長が言い切ると同時に、看護師が飛んできた。彼が何か耳打ちすると、院長の厳しい顔つきによりしわが刻まれる。
「―――すまないが、あまり話している時間がない。メモはここにある。頼む」
「分かりました」
薬の材料が書かれたメモをポケットに入れると、ブルームはすぐに踵を返した。ギルドのメンバーを集めなければ―――今、動ける限りの。
何故なら施薬院で死にかけているのはギルドのリーダーで、他のメンバーもほぼ満身創痍だからだ。
ブルームは第三階層を訪れていた。沈み込みそうな青い床を、足早に進む。その遥か後方からのんびりとした女の声がかかる。
「そんなに足音立てちゃ、魔物に見つかるわよ!」
明るい金髪が黒いボディスーツの上で翻る。化粧された顔が、やれやれと表情で訴えていた。
ブルームは苛立ちを隠さない。
「急ぎなんだ。仕方ないだろ」
「いつものあんたのギルドならこのテンポで十分でしょうよ。でも今の護衛は私一人なんだから、少しは気を使ってちょうだい!」
女の態度は横柄だが、言っていることは事実だ。
彼女はブルームのギルドの冒険者ではない。結局、正規のギルドメンバーたちは戦える状態でなかったり、輸血に使うから連れて行くなと言われたりで捕まらなかったのだ。酒場で事情を話して、何とか護衛を一人調達したのはいいが、この女にまつわる暗い噂をブルームは知っていた。
「そういえば、一応あんたのギルド、迷宮を踏破した帰りだったらしいわね。おめでとう」
他人事のように―――事実そうなのだが―――ダークハンターの女はゆっくり歩きながら、言った。らしい、なのはギルドメンバーの治療が優先されるばかりに、正確な情報がきちんと街に伝わっていないからだろう。ブルームが事の次第をメンバーに聞いたところによると、彼らは第五階層の最奥で、世界樹の迷宮の底にひそんでいた“強敵”を打ち倒したのだそうだ。
「すごいわね」
「やめてくれ」
ブルームはうんざりして、考えるより早くそう吐き捨てた。
案の定、女はきょとんとした顔をする。
しまったと思いつつ、ブルームは弁明した。
「……そういう話は、うちのリーダーが助かってからにしてくれ」
「そうね」
繕った言葉に、女は納得したようだった。
「樹海が踏破されちゃってたら、あんたはどうするの?」
「はい?」
目的地にたどり着き、黙々と作業をしていたブルームの傍らに立ちながら、女は不意にそんなことを言ってきた。
集中したいので黙っていてほしい―――そう目で訴えたブルームの意図とは裏腹、女は彼を見もせず続ける。
「もう新しいものは見つからないわけじゃない。あんたのギルドの連中だって冒険者だから、余所に行くでしょ。あんたはついてくの?」
「……俺の本職は、エトリアの教師なんだけど」
「そうなの?」
そうなのだ。ギルドが有名なせいでよく誤解されているが、ブルーム自身は樹海から一歩離れれば一市民、一般人だ。エトリアに家も家族もある。
「だから、俺はついてかないね」
硬い根っこを掘り返しながら、ブルームは女の顔をちらと見た。
お返しに、女の将来も揶揄してやろうかと思ったが―――彼女の経歴を思い出して、やめた。冗談事じゃない。
「……それに、潮時だとも思ってたしな」
代わって出てきたのは、こんな独白だった。
「潮時?」
「“あのギルドの”って枕詞さ」
何故だか、滑り落ちるように言葉が続く。仲間が死ぬかもしれないという極限状態に立たされて、吐き出し口が欲しかったのかもしれない。
「―――俺はしがない採集係なのに、コロトラングルとの死闘話をせがまれては勝手に落胆される。事実を知っている連中には、ギルドのおこぼれを預かる汚いジャッカル野郎として有名だ……ギルドの仲間はみんな良い奴で、気にするなとも言ってくれる。だけど、やっぱり堪えるんだよ」
吐きかけられる言葉はすべて、真実なのだ。それが余計に居心地の悪さを助長する。
そもそもの目的が、ギルドのおこぼれに預かることだ。ここまですごいギルドになると思っていなかったなんて、誰がそんな言い訳を信じるだろう?
だが、女は真摯な目でブルームを見つめていた。
「……ふうん、同じなんだね」
「何が」
「私と、あんたさ。……知ってるでしょ、私のギルドは第四階層で壊滅した。挑んだ四人のうち三人は死んで、一人は再起不能。風邪でその日の探索を休んだ私は……まったくの無傷」
何も言えないブルームの傍に屈みこむと、女は青い瞳を緩めた。
「―――運命の采配がちっと狂っちまったって言えば、それまでよ。けど死を悼むばかりで私は食べていかれない……樹海に潜るっていう、仕事は続けないとね。するとどうでしょう、今まで散々可哀相がってた連中は、てのひら返したように罵るようになったわ。“ギルドの仲間がみんなおっちんじまったから、あの女、その恩恵を一人でむさぼってやがる”ってね」
ギルドメンバーがほとんどいなくなりギルドが壊滅しても、登録を抹消しない限り、たった一人でもギルドは存続し続ける。
たとえばブルームのギルドの冒険者たちがエトリアを旅立っても、ブルームが最下層で採集できる権利は残る。到達階層というのは、個人ではなくギルドに依存するからだ。
この女もそうだ。
彼らが残した遺産を、食い荒らし続けることができるという点では、二人は似ている。
刈り取った葉を袋に詰めながら、ブルームはため息をついた。
「死肉をあさるというのは、嫌われるんだろうな」
「……ま、あんたのはまだ生きてるけどね」
力なく笑み、女はブルームの手にしていた鎌を指さした。
「おしゃべりしてても、ちゃんとあんたの手は動いてるじゃない」
「……急ぐからね」
「あんたは仕事してるよ。あいつらが樹海を踏破することができたのも、あんたが稼いだからさ」
立ち上がり、女は胸の谷間から―――どこから出してんだ、とブルームは呻いたが―――アリアドネの糸を取り出すと、今度はにっと歯を見せて笑った。
「そしてあいつらを生き返らせるのも、あんたの仕事よ」
「まだ、死んじゃいないよ、まだ」
「……あいつらがいなくなったらさ、あんた、樹海の採集場の管理でもしたらいいんじゃない。執政院がそういうの募集してたよ」
冗談交じりに女が呟いた一言に、ブルームは肩を竦めた。
荒らす方《ジャッカル》から守る方《アヌビス》に転身じゃ、ますます冒険者からは恨みを買うんじゃないの、と思いながら。