「ねー、コユキちゃん!」
にこにこと機嫌よい笑顔でアリルが話しかけるのを、棘魚亭での夕食後の茶を啜るコユキは淡白に応じる。
「なんじゃ」
「前に言ってたコートのことなんだけど……中央市街で、いいのを見つけたの。一緒に行ってみない?」
「うむ……」
茶のせいではなかろう、苦い顔をしながら―――コユキはアリルに向き直る。
が、屈託ない少女の笑みは薄れない。
やがて諦めたように、コユキは脱力した。
「いつがよいのじゃ……」
「うん、コユキちゃんが良ければ明日でも!」
「仲がいいんですね」
目の前で始まりつつあるガールズトーク―――一方的だが―――を黙って眺めていたクルスは、そう口を挟んだ。アリルの満面の笑みがこちらを向く。
「うん! ……あ」
何かに気づいた様子で、アリルはコユキにいそいそと身を寄せ、耳元に囁く。
彼女たちの視線が動いたので、クルスは振り返ってそれを追った―――見つけたのは、入り口扉から足取り軽く入ってくる、イーシュだ。
クルスは少女たちに視線を戻す。―――心なしか、コユキの目が泳いでいる。
アリルのにやけた様子から、何とはなしに想像はついた。
「……話しかけて来られては?」
クルスが言うと、コユキは噛みつくように応じた。
「なっ、なっ何をじゃっ! 碌に話題もないのに、声をかけられてもご迷惑なだけじゃろう……」
段々と小さくなっていくその声に、アリルが励ます。
「そんなことないよ。……あっ、立ち止まった」
イーシュはカウンターで足を止め、酒場の亭主と話を始めた。するとそこへ、遠くに座していた見知らぬ女がわざわざ腰を上げ、近づいていくではないか。
女の格好は見るからに冒険者相手の―――その―――商売をしている風であった。イーシュはそれに、遠目からでも分かるほど鼻の下を伸ばして対応している。
気まずい思いで、クルスは再びテーブル向かいの様子を窺った。
アリルは憮然とした顔でイーシュを注視している。
一方で問題のコユキの方は―――深く座席に腰かけ、茶を啜っている。
その平常心といった素振りに、クルスは目をぱちくりとした。
「いいんですか?」
「何がじゃ」
「その……イーシュさん……」
まだカウンターで女と会話している彼とコユキを交互に見やるクルスに、彼女は至極鬱陶しそうに答えた。
「だから何じゃ。おおかた、仕事の話でもしておられるのじゃろう」
確かに仕事の話だろうが、どちらかというと女の方の仕事だろう。
何も言えずにいるクルス。
コユキはやれやれと続けた。
「イーシュ殿は、おなごに優劣をつけぬの。あのような商売女にも、真摯に接しておられる。まこと、人として信に足るお方じゃ」
クルスはもう一度―――商売女の胸元に目を落としたきりのイーシュを見て、納得して頷いた。なるほど、あれはそういう風にも捉えられるのか。
「僕はつねづね視野を広く持てるようになりたいと思っていますが、今のコユキさんの言葉も勉強になりました」
「どういう意味じゃ」
「コユキちゃん、私コユキちゃんのこと応援してるから……」
「なんじゃ、おぬしまで」
「僕、ちょっと飲み物持ってきますね」
クルスはふらふらと席を立つ。何となく居たたまれなかった。
―――いつものように裏口(その先に井戸がある)に向かおうとした彼の肩に、ぽんと手が置かれる。
振り返れば、イーシュが微笑みを湛えて立っていた。
「どこに行くの?」
「イーシュさん……」
さっき店に着いたばかりのはずの彼の片手がいつの間にやら酒瓶を持っていることに、クルスは眉を曇らせる。
同時にぱっと首を巡らせると、口を開いた。
「先ほどの女性は、よろしいので?」
カウンターで亭主と話す女の後姿を見つけ、クルスは尋ねる。イーシュはそれをちらと一瞥しつつ、いいのいいの、と明るく笑った。
「っていうか、この店でそういう女のコとお付き合いする気ないし」
「はあ……」
まあギルド行きつけの店で、彼の言う“そういう”相手を見つけるのはよくない、確かに。
だがそんな問題でもないような気がして、クルスは重ねる。
「イーシュさん、コユキさんのことをどう思っているんですか?」
「えっ?」
聞き返されて、はたとクルスは気付く。
意図せず滑り出した言葉が大変な意味を孕んでいることに、言ってから気づいたというべきか。
「あ、その、いえ」
「好きだよ?」
言い繕う間もなくきょとんとした様子で、イーシュは答えた。
今度はクルスが目を丸くする番だ。
イーシュは事もなさそうに続ける。
「好きだよ。そりゃ」
「ええと、それはどういう……」
「同じくらいルミネさんも好きだね。手を出したらレオンに怒られそうだけど。カリンナちゃん……は結構いい線だけど守備範囲までもう数年かかるかな」
「……えっと」
クルスは理解に苦しみながらも、辛うじて一言をひねり出した。
「女性なら誰でもいいんですか」
「誰でもってわけじゃないよ? まあでも、魅力なんてのは誰しも持ちうるもんだというのは僕の持論だけどね。人の好みってのはその輝きが磨かれているか磨かれつつあるか、まだ見つけられていないかの違い。僕はどれでもオッケーだってことだね」
「それを誰でもいいって言うんですよ……」
「守備範囲が広いと言ってくれたまえ。そうだね―――」
イーシュはクルスを覗き込むと、にい、と挑戦的に嗤った。
「勿論アリルちゃんも、“好き”だよ」
「んなっ……」
「おや?」
思わず顔を隠すように手をやり仰け反ったクルスに、イーシュはわざとらしく肩を竦める。
「―――どうしたんだいクルス君。僕がアリルちゃんのことが好きだと、何か都合の悪いことでも?」
クルスは頬が引きつるのを感じる。
ねえねえ、ねえねえ、としつこく纏わりついてくるイーシュに背を向けると、クルスは―――金輪際人の恋路に首を突っ込むまいと固く心に誓いながら―――彼が追ってくるより早く、裏口の戸をぴしゃりと閉めたのだった。
にこにこと機嫌よい笑顔でアリルが話しかけるのを、棘魚亭での夕食後の茶を啜るコユキは淡白に応じる。
「なんじゃ」
「前に言ってたコートのことなんだけど……中央市街で、いいのを見つけたの。一緒に行ってみない?」
「うむ……」
茶のせいではなかろう、苦い顔をしながら―――コユキはアリルに向き直る。
が、屈託ない少女の笑みは薄れない。
やがて諦めたように、コユキは脱力した。
「いつがよいのじゃ……」
「うん、コユキちゃんが良ければ明日でも!」
「仲がいいんですね」
目の前で始まりつつあるガールズトーク―――一方的だが―――を黙って眺めていたクルスは、そう口を挟んだ。アリルの満面の笑みがこちらを向く。
「うん! ……あ」
何かに気づいた様子で、アリルはコユキにいそいそと身を寄せ、耳元に囁く。
彼女たちの視線が動いたので、クルスは振り返ってそれを追った―――見つけたのは、入り口扉から足取り軽く入ってくる、イーシュだ。
クルスは少女たちに視線を戻す。―――心なしか、コユキの目が泳いでいる。
アリルのにやけた様子から、何とはなしに想像はついた。
「……話しかけて来られては?」
クルスが言うと、コユキは噛みつくように応じた。
「なっ、なっ何をじゃっ! 碌に話題もないのに、声をかけられてもご迷惑なだけじゃろう……」
段々と小さくなっていくその声に、アリルが励ます。
「そんなことないよ。……あっ、立ち止まった」
イーシュはカウンターで足を止め、酒場の亭主と話を始めた。するとそこへ、遠くに座していた見知らぬ女がわざわざ腰を上げ、近づいていくではないか。
女の格好は見るからに冒険者相手の―――その―――商売をしている風であった。イーシュはそれに、遠目からでも分かるほど鼻の下を伸ばして対応している。
気まずい思いで、クルスは再びテーブル向かいの様子を窺った。
アリルは憮然とした顔でイーシュを注視している。
一方で問題のコユキの方は―――深く座席に腰かけ、茶を啜っている。
その平常心といった素振りに、クルスは目をぱちくりとした。
「いいんですか?」
「何がじゃ」
「その……イーシュさん……」
まだカウンターで女と会話している彼とコユキを交互に見やるクルスに、彼女は至極鬱陶しそうに答えた。
「だから何じゃ。おおかた、仕事の話でもしておられるのじゃろう」
確かに仕事の話だろうが、どちらかというと女の方の仕事だろう。
何も言えずにいるクルス。
コユキはやれやれと続けた。
「イーシュ殿は、おなごに優劣をつけぬの。あのような商売女にも、真摯に接しておられる。まこと、人として信に足るお方じゃ」
クルスはもう一度―――商売女の胸元に目を落としたきりのイーシュを見て、納得して頷いた。なるほど、あれはそういう風にも捉えられるのか。
「僕はつねづね視野を広く持てるようになりたいと思っていますが、今のコユキさんの言葉も勉強になりました」
「どういう意味じゃ」
「コユキちゃん、私コユキちゃんのこと応援してるから……」
「なんじゃ、おぬしまで」
「僕、ちょっと飲み物持ってきますね」
クルスはふらふらと席を立つ。何となく居たたまれなかった。
―――いつものように裏口(その先に井戸がある)に向かおうとした彼の肩に、ぽんと手が置かれる。
振り返れば、イーシュが微笑みを湛えて立っていた。
「どこに行くの?」
「イーシュさん……」
さっき店に着いたばかりのはずの彼の片手がいつの間にやら酒瓶を持っていることに、クルスは眉を曇らせる。
同時にぱっと首を巡らせると、口を開いた。
「先ほどの女性は、よろしいので?」
カウンターで亭主と話す女の後姿を見つけ、クルスは尋ねる。イーシュはそれをちらと一瞥しつつ、いいのいいの、と明るく笑った。
「っていうか、この店でそういう女のコとお付き合いする気ないし」
「はあ……」
まあギルド行きつけの店で、彼の言う“そういう”相手を見つけるのはよくない、確かに。
だがそんな問題でもないような気がして、クルスは重ねる。
「イーシュさん、コユキさんのことをどう思っているんですか?」
「えっ?」
聞き返されて、はたとクルスは気付く。
意図せず滑り出した言葉が大変な意味を孕んでいることに、言ってから気づいたというべきか。
「あ、その、いえ」
「好きだよ?」
言い繕う間もなくきょとんとした様子で、イーシュは答えた。
今度はクルスが目を丸くする番だ。
イーシュは事もなさそうに続ける。
「好きだよ。そりゃ」
「ええと、それはどういう……」
「同じくらいルミネさんも好きだね。手を出したらレオンに怒られそうだけど。カリンナちゃん……は結構いい線だけど守備範囲までもう数年かかるかな」
「……えっと」
クルスは理解に苦しみながらも、辛うじて一言をひねり出した。
「女性なら誰でもいいんですか」
「誰でもってわけじゃないよ? まあでも、魅力なんてのは誰しも持ちうるもんだというのは僕の持論だけどね。人の好みってのはその輝きが磨かれているか磨かれつつあるか、まだ見つけられていないかの違い。僕はどれでもオッケーだってことだね」
「それを誰でもいいって言うんですよ……」
「守備範囲が広いと言ってくれたまえ。そうだね―――」
イーシュはクルスを覗き込むと、にい、と挑戦的に嗤った。
「勿論アリルちゃんも、“好き”だよ」
「んなっ……」
「おや?」
思わず顔を隠すように手をやり仰け反ったクルスに、イーシュはわざとらしく肩を竦める。
「―――どうしたんだいクルス君。僕がアリルちゃんのことが好きだと、何か都合の悪いことでも?」
クルスは頬が引きつるのを感じる。
ねえねえ、ねえねえ、としつこく纏わりついてくるイーシュに背を向けると、クルスは―――金輪際人の恋路に首を突っ込むまいと固く心に誓いながら―――彼が追ってくるより早く、裏口の戸をぴしゃりと閉めたのだった。
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